私はあるヤクザから、小指を切断する習慣について聞いたことがある。それによると、「たいがいの場合金で済むのに、カッコつけでやっとるんや」ということであった。
つまり、一般市民は小指の無いヤクザを見て、「何かで失敗して、親分か兄貴分に責められて小指を切らされたのだなあー、可哀想に」と思っているかもしれないが、実はそうではなく、何かのチャンスに小指を切りたがっている連中が切るのであって、必ずしも追い詰められて切っているわけではないということである。
考えてみれば、それは当たり前のことである。と言うのも、何かの落ち度を償うためには、通常は詫びと金で済むのであって、小指など切ってもらっても、親分であれ兄貴分であれ、なんの得にもならないからである。
しかし、場合によっては何時でも指を詰める覚悟があってこそ、親分・兄貴分・子分の厳格な序列社会の中で、単なる小間使いでも単なる忠犬でもなく、一人の独立した人間としてあるいは一人前のヤクザとして、主体的に生き切ることができるのである。したがって、「指詰め」は一人前のヤクザであることの免許証みたいなものであり、そのために、彼らは必要以上に指を切りたがるのである。
つまり、一般市民は小指の無いヤクザを見て、「何かで失敗して、親分か兄貴分に責められて小指を切らされたのだなあー、可哀想に」と思っているかもしれないが、実はそうではなく、何かのチャンスに小指を切りたがっている連中が切るのであって、必ずしも追い詰められて切っているわけではないということである。
考えてみれば、それは当たり前のことである。と言うのも、何かの落ち度を償うためには、通常は詫びと金で済むのであって、小指など切ってもらっても、親分であれ兄貴分であれ、なんの得にもならないからである。
しかし、場合によっては何時でも指を詰める覚悟があってこそ、親分・兄貴分・子分の厳格な序列社会の中で、単なる小間使いでも単なる忠犬でもなく、一人の独立した人間としてあるいは一人前のヤクザとして、主体的に生き切ることができるのである。したがって、「指詰め」は一人前のヤクザであることの免許証みたいなものであり、そのために、彼らは必要以上に指を切りたがるのである。
須原一秀『自死という生き方』pp.157-158 (via nozma-books)Z|z
I love the samurai suicide.
(via halfdry)